At any rate I wanted to begin for myself
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これまで、旅をして、お金がなくなったら日本で仕事をし、また旅にでるという生活を3年やってきた。
それももう終わりである。
引っ越しの準備はダラダラで、本ばっかり読んでいた。
「仕事始まったら本なんて読む時間あらへんもん」
そう言い訳をしながら。
ぼくは本やマンガに関してかなり保守派である。
マンガの新刊は荒木飛呂彦しか買わない。
活字の新刊はいっさい買わない。
過去に出版された、いわゆる古典とか名作ばかりを読んでいる。
その中でもおもろかったなぁと思うものを何度も繰り返し読むので、読んだ量に比べて種類は少ないほうだと思う。
最近読み返したのは
『リヴィエラを撃て』 高村薫
『聖の青春』 大崎善生
『灰谷健次郎の保育園日記』 灰谷健次郎
『むかしの味』 池波正太郎
である。
どれもぼくにとってごっつい名作で、何度も読み返している。
そしてもうひとつ。
『家族ゲーム』 本間洋平
紹介にはこうある。
出来のいい“ぼく”、グズな弟、頼りない父、そんな一家を嬉々として支える母。
どこにでもある家族風景が、新しい風変りな家庭教師の出現で一変する!
シゴキに耐え、根性を見せる弟、うろたえる母、だんだんに勉強が嫌いになる“ぼく”。
苛烈な受験戦争を、おかしくも感動的に描く第五回すばる文学賞受賞作。
読んでいるうちにドッグイヤーがあり、そこに鉛筆で線が引っ張ってあった。
ぼくは・・・・最近感じている二つの相反する気分を味わっていた。
それは一つことがすめば次のことへ、駆け足で進むよう強いられる生活への消耗感。
同時に、それから乗り遅れることへの不安感。
高校生の“ぼく”が感じているこの気分は、ボクもずっと感じていた。
水たまりで跳ねまわっていた小学生が、中学に入ったとたん順位づけられ・・・。
なんかちゃう、なんか間違ってると思いながらも、中学生のぼくはその流れに身をまかせるしかなかった。
こつこつ取り組むことは得意だったぼくは、無難に受験を乗り越えていったけど、いまやっていることが誰のためなのか、何につながっていくのか、まったくわからなかった。
とにかく終われば考える時間ができる。
それだけがモチベーションだった。
でも、またすぐやらなければならないことがやってくる。
今考えると、本当にやらなければならないことだったかどうかは疑問であるけれど・・・。
ここまで書いてきて思うのは、仕事を辞めるまでのぼくがとてもショボイ人間だったということ。
被害者ヅラして語っているけど、すべてにおいて最後に選択をしているのはぼく自身なのだ。
やる自由もあれば、やらない自由もある。
それをあたかもひとつの選択肢しかないように感じているのは、ほかならぬ自分自身である。
一度ドロップアウトしてみて、それがよくわかった。
いやならやんなきゃいいのだ。
これからまた忙しい毎日が始まる。
でも、これまでとは違う気持ちで生きていけると思う。
この生活を選んだのは自分だ。
どうしてもいやならまた辞めればいい。
しがみつくなら、しがみついていればいい。
それは自分が選択することだ。
こんな当たり前のことを実感するのにずいぶん時間がかかったなぁ(理解ではなく、実感である。理解はとっくにしている)。
旅に出やんかったら、この実感はいつまでたっても得られんかったやろなぁ。
素晴らしい出会いも、思い出に残る別れもたくさんあったし、旅ってええもんやな。
引っ越しにあたって、ネットの環境が整うまでしばらく更新を休みます。
このくだらないブログを読んでくれている人たちの新年度がスラップスティックな日々になりますように。
では、みなさん、チョークディーナ!