2008年 07月 23日
炊きたてご飯の心
|
遺跡観光2日目。
旅に出てきた目的を、もともと遺跡とか建造物とか絵画に置いてなかったぼく。
だからアンコールワットをちょこっと見るだけで満足してしまい、それ以降はどの遺跡も
同じように見えてきて苦痛になってきた。
でも、ダムに「おれは街をプラプラしてるから一人で行って来いよ」とは言えず、一応遺跡を
見てるフリだけしていた。
ダムはいったん見始めると熱心に見ているので結構時間がかかる。
だからぼくはササッと見て回って、あとは遺跡の入口に戻り、木陰でぼんやりしてることが
多かった。
ある遺跡の入口でコーラを飲みながらダムを待っていると、例のごとく子どもの物売りが
やってきた。
「2ダラー。ヤスイ、ヤスイ」
今度は竹笛かよ。
かるーくシカトこいていると、子どもたちが集まってきて、クスクス笑いながら傍に座ってくる。
どの国でもぼくのところには子どもが寄ってくるけど、その原因はわかっておる。
そのころぼくは頭をモヒカンにしていた。
ソフトなやつじゃなく、いわゆるUKパンクの人たちがやっちゃってる感じのやつ。
さすがにスプレーでおっ立てることはしてなかったけど。
だから、子どもたちは文字どおり頭が変なヤツがいるってことで近寄ってくるのである。
しゃあないなぁ。
ダムはまだまだ戻ってけえへんから相手したるか。
クソ暑い中鬼ごっこやら棒倒しをしてやった。
日本の子どものように、「つまんないからDSやりたい」とかは言わないので楽。
そのうち子どもたちのクメール語講座が始まった。
「1がムオイで、2がピー。3がバェイで・・・。」
タイ語ですら7と8を反対に覚えちゃってるぐらいなのに、これ以上クメール語を
やりはじめると混乱しそう・・・。
そのうち子どもらは悪ノリし始めて、わからないことをいいことに「あなたを愛しています」とか
「結婚しよう」とかを覚えさせられ、それをそこら辺の女の子に言わせられた(はずかぴー)。
「次は、サ ケニョン カントイマンって言ってみて(ニヤニヤ)」
「サ ケニョン カントイマン!」
「キャハハハハハハッ!」
気分が悪いっ!
おれはからかうのは好きだが、
からかわれるのは大っ嫌いだぜ――ッ!
「つーかどういう意味なんだよっ」
「キャハッ!それはね、『ぼくの頭はニワトリです』っていう意味。
キャハハ」
モヒカンだからか・・・。
ホントにそういう意味なのか調べるすべはないけど、2年以上も前に教わったこの言葉だけ
しっかり今でも覚えている。
それにしても、やっぱコイツら子どもやなぁ。
はじめは商売人の顔して近付いてきたのに、ちょっと遊んだったら、もう商売のことなんか
忘れて跳ねまわってるわ。
遊びたい盛りやもん。
それが本来の子どもの仕事やもんなぁ。
そうこうしてるうちに子どもたちが「バイバーイ」と言って去っていった。
女の子が、「お母さんが呼んでる。これからお昼ご飯なの」と言っていた。
さぁて、ぼくもダムを探しに行くかな。
それにしてもダム、おっそいなぁ。
カワイイ女の子でもおったんやろか。
あんナロ~。
すると、さっきの女の子がパタパタ走って戻ってきた。
「お母さんがアナタも一緒にご飯を食べなさいって言ってるヨ」
ゴハン?
うーん、ダムはまだ戻ってけえへんから、じゃ、ちょっと行ってみるか。
「ハロー!」
挨拶をして、ぼくも一緒にご飯を食べてええんか、身振り手振りで聞いた。
どうやら子どもたちの相手をしてくれたからごちそうしてくれるらしい。
お母さんは石でかまどをつくり、火を焚いていた。
かまどの上にはでっかい鍋があった。
フタを開けると、まっ白い御飯が炊きあがっていた。
「おぉ!うまっそやなぁ」
屋台で食べることがもっぱらあったので、炊きたてゴハンは日本から出てきてはじめて!
そうこうしてるうちにお父さんが帰ってきた。
お父さんは遺跡の警備員をしてる。
お母さんと子どもたちは、お父さんの働いている遺跡の入口で笛やら絵葉書、
アクセサリーを売っている。
お昼になると、お父さんは戻ってきて、みんなでごはんを食べる。
お母さんが皿にご飯を山盛りよそってくれた。
さて、おかずはなんやろ?
子どもたちがおかずの皿をまわしている。
ぼくのところにもまわってきた。
その皿には真っ黒い汁のなかに、ちっちゃいサワガニが1匹だけ入っていた。
なんやコレ?
子どもはその黒い汁をちょっとすくって、ご飯にかけて食べている。
ぼくもやってみると・・・。
しょっぱー!
これニョクマム(魚醤・タイのナンプラー)やな。
サワガニはダシをとったんか、風味づけか・・・。
まさにびんぼっちゃまのしょうゆごはんカンボジアバージョン。
子どもらのお昼ごはんはこれだけ。
みんな山盛りごはんにニョクマムを少しかけてかきこんでいる。
お父さんには豚肉を炭火で炙ったものがつく。
その肉もホントに小さく、拳の半分もなかった。
しかも、その小さな肉を半分にきって、それをぼくの皿に入れてくれた。
お世辞にもうまいとは言えない(ご飯はおいしかったけど)。
でも気持ちがうれしかった。
山盛りご飯で満腹になったぼくは、そろそろ戻ることにした。
子どもたちも商売をせなあかんぐらいに貧しい家族にご飯をごちそうになって
さらに、お父さんの肉まで半分食べちゃって・・・。
なんか悪いことしたなぁ。
ぼくはお母さんにお礼を言って、「少ないですけどこれ」と言って5ドルを差し出した。
お昼のお礼の意味もあるし、なにより久しぶりに子どもと楽しい時間を過ごせたから。
この家族の生活の足しにちょっとでもなれば、とも思った。
でも、お母さんはかたくなに受け取らなかった。
「子どもたちの相手をしてくれたお礼にごちそうしたんだから」
お母さんもアクセサリーを売っているときには、少しでも高く売ろうと躍起になっている。
もちろんお金はほしいだろう。
でも、それとこれとは別なのだ。
ぼくは恥ずかしかった。
長い時間子どもと遊んでくれたぼくの気持に(ぼくはそんな風には思ってないけど)、
お母さんはこたえてくれたのだった。
そこには心と心のやりとりがあった。
でも、ぼくは5ドルで水をさした。
浅はかな男やなぁ、ぼくは。
本当に貧しかったのは、ぼくの気持ちのほうだった。
by myproblem
| 2008-07-23 11:57
| カンボジア